「敬師の里」とは

 出羽国米沢藩の第9代藩主上杉治憲(鷹山)公は、財政再建に取り組む傍ら、学問に力を入れ優れた人材を育成しようと、自身の師である細井平洲先生を米沢に招きました。
 寛政八年【1796年】の三度目の招きの際、鷹山公はわざわざ関根の地まで出迎えに出られました。このとき鷹山公が平洲先生に会ったのは、実に20年ぶりだったと言います。
 当時、平洲先生は69才、鷹山公は45才で、藩主鷹山公自ら城から二里【8km】余り離れたこの関根の地まで歩いて、恩師平洲先生を迎え、鄭重にその労をねぎらったという記録があります。お出迎えになった場所が「羽黒神社」、休憩をとられて、しばらくお話をされたのが「普門院」です。
 平洲先生が江戸に帰られる時にも、「普門院」で別れの杯を交わされ、お見送りをされました。
 当時滞在された部屋が、「普門院」には現在も残されており、当時使われた調度品なども展示されています。また、平州先生が自ら植えられた椿の花が、毎年春に赤い花を咲かせています。
 この話が後世に語り継がれるようにと、文部省(当時)は「普門院」を昭和10年に国指定の史蹟と指定しました。それ以来、ここ関根が「敬師の里」とよばれるようになりました。

普門院

普門院

普門院は関根小学校の西側にある、上杉鷹山公が出迎えられた細井平洲先生としばらく歓談されたり、別れの際に杯を交わされた所です。
「普門院」のホームページはこちらへ

羽黒神社

羽黒神社

羽黒神社は関根小の西、普門院の北にある、上杉鷹山公が細井平洲先生を出迎えられた所です。
 山上地区一帯の鎮守として、古くから信仰厚い神社です。社殿は文化財としての価値も高い木造建築です。羽黒神社は、806年【平安時代】に、羽黒大権現として、大窪沢山頂に建設されました。現在地に移転したのは、1238年の事です。1738年には、一度焼失しており、再建されて、今のようになりました。  羽黒大権現は1872年、大物忌神社と称されるようになった後、1932年に、今の名前、羽黒神社と改称されました。そして、国指定遺跡(上杉鷹山公敬師の里送迎の史跡)となったのは1935年の事です。