創立記念式第2部は、吉田氏による、昔話の語りでした。
 「かみ ない はなし」「かっぱの くれた 宝物」「貧乏の神と 福の神」の3つの昔話を聴きました。三番目のお話は、一般的には「福の神と貧乏神」なのですが、貧乏神が主役になるお話でした。詳しくは、お子さんにお聞き下さい。 とうびんと。
 校長先生からは、明治13年創立当初の興譲小についてと、校歌についての話を聞きました。創立当初は、この地区には小学校(とはいえ寺子屋のようなもの)が9つあり、それらの学校が一つにまとまり、興譲小として始まったこと。当時の学校は、現在の町の広場(開校の碑があります)に建っており、木造3階建て、中央部が4階で上部は展望台のようになっていたそうです。また、明治23年に入学された方の作文から、当時は教科書が無く、先生の手製のプリントを使っての学習でほとんどが漢文で、よくわからなかったということ。現在のように暖房の設備は無く、たまり場(現在の体育館のような場所)と呼ばれる場所に大きな四角い火鉢が置いてあり、昼食時には、場所を取り合ったそうです。教室は神聖な場所ということで、飲食はできなかったということです。                                             
 興譲小の校歌は作詞:齋藤鍋蔵(さいとうなべぞう)さん、作曲:梁田貞(やなだただし)さんによって作られ、作詞された齋藤鍋蔵さんは、米沢市出身(旧:山上村、現:関根付近)で、高等女学校(現:米沢東高)の国語の先生で、北部小学校や米沢中央高の前校歌も作詞されているそうです。作曲された梁田貞さんは、「どんぐりころころ」や「とんび」を作曲された方であるという話でした。長い歴史と伝統を心に刻み、興譲の心を大切にしていって欲しいという言葉で締めくくられまし
た。
 同窓会長さんやPTA会長さんからも昔の興譲小のことをお聞きしました。特に、PTA会長さんのお話では、今年度は、耐震問題で関根小の友だちが興譲小に通学しているが、90年前の大正6年の米沢大火で興譲小が焼失したときは、当時約2000人いた児童が、東部小、西部小、南部小、北部小に分散し、中でも東部小へは600人が通学した記録が残されているというお話を聞きました。

創立127周年 記念式
2007.9.25

















 



「とんと昔話」の会