学校概要

 

学校の

 本校は昭和36年4月1日、新設校として開校した。ただし校舎が未完成のため、昭和36年度は四中分室として米沢一中・米沢二中・米沢三中で授業が行われた。新校舎での学習は37年度にまず1,2年生からスタートし、全学年がそろって新しい校舎で学習できるようになったのは38年度からである。新設当初より、生徒・教職員・保護者・地域が一体となって先進の中学校に追いつけ追い越せの意気込みで文武両面で励み、「われら四中一つの玉に」「継続は力なり」の2つのスローガンのもと、輝かしい歴史と伝統を積みあげてきた。

 平成23年3月11日に東日本大震災が起こり、その後の耐震診断により校舎が生徒の安全確保の観点から使用できなくなったことから、3年7か月におよぶ米沢市営体育館と仮設校舎での生活を余儀なくされることとなる。このような事態にあって生徒・教職員は、生徒会が「プレハブ生活向上宣言」を全校で決議するなど、この逆境を前向きにとらえて自分たちで生活の質を向上させようと努めた。

 平成27年3月、待望の新校舎が完成。この「プレハブ生活向上宣言」の精神は「四中生憲章」となって現在に引き継がれている。また、米沢市適正規模・適正配置計画によって令和7年度を最後に四中の歴史は閉じられ、令和8年度より現在の六中と統合して新生「北成中学校」として開校することが決まっている。


学校スローガ

 「われら四中一つの玉に」 「継続は力なり」  昭和38年、待望の校舎・体育館・グラウンドが完成し、5月20日に落成祝賀会が開催された。このとき、「新制四中」にふさわしい学校スローガンを全校生徒から募集し、初代校長の寒河江直先生が中心となって決定された。それが「われら四中ひとつの玉に」である。祝賀会には校歌を作詞された浜田広介先生も出席されており、先生より「継続は力なり」の言葉が贈られた。当時四中に勤務されていた片桐喜重先生がこの二つの言葉を書にされ本校の体育館に掲げられた。以来、半世紀以上にわたり四中のこころの指針となっている。

 

学校教育目標

 「かかわりを通して 未来を拓く」 

 めざす学校像  「子どもの可能性を拓く学校」

  一 「子ども」が主語となる教育を展開する学校
  一 四中に関わる全ての人が大切にされる学校
  一 教育活動一つで新たな可能性を生み出す学校

 めざす生徒像  「なかまと共に学び育つ子ども」

  一 互いのよさを伝え合い、力を伸ばす子ども
  一 心を寄せ合い、なかまを大切にする子ども
  一 がってしない心で課題に立ち向かう子ども

 めざす教師像  「教育活動に個の力を生かす教師」

  一 心に寄り添い、個々のよさをつなぐ教師
  一 自ら学び、確かな価値を生み出す教師
  一 人間味あふれ、師表として信頼を築く教師


学校経営方針

  基本方針:すべての教育活動に、ピア・サポートを生かす

  1 それぞれの手で、楽しい学校づくりにつながるピア・サポート環境を構築する
  2 教職員はファシリテーターに徹し、子どもの活動を保障することで可能性を拓く
  3 チーム、OJTをキーワードとする協働的な教職員体制を敷いて課題解決を図る
  4 心の通い合う関係づくりにより、全職員の時間外労働時間を月45時間に抑える
  5 生き生きと学び合い力を伸ばす子どもの姿を通して、保護者、地域との信頼を築く


校章について

昭和36年の学校開設にあたり、新しい中学校にふさわしい校章が一般公募された。応募作品のなかから厳正な審査を経て、綿貫栄藏氏の作品が選ばれた。
 


<作者のことば>
1 全体で米沢市の米の字をあらわした。

2 中心は中学の中の字を抽象化した。その周囲の四つの星で四中の四を表現した。

3 中心から四方にのびた形で、米沢市の将来の発展と若い生徒らの未来への希望、進歩をあらわした。

4 曲線のみを使ったのは、生徒の情操の円満な発達をねらったつもりです。この放物線のような組み合わせは、宇宙時代といわれる現代の夢をもこれに托した

5 曲線だけの図案はやわらかな感じを出すのに都合がよいが、その中に毅然とした感じを出すことに苦労した。

 

校旗・校歌